完璧主義との戦い:今を楽しめない私の内なる葛藤

今回の探求は私が「今を楽しむことができない」理由を考えてみました。

私は常に次の予定や計画を考えてしまいます。特に翌日に朝から予定があるとわかると、前日やそれ以前からそのことを考えてしまいます。ミスを避けるために事前に準備をし、家を出る段取りを何度も確認します。いつも心配しているので、今を楽しむことができません。

私の中で完璧主義が強く、ミスを犯さないようにと常に準備を重ねることが習慣化しています。適度な確認は重要ですが、私は時に行き過ぎてしまっているようです。この状態が私の生きづらさに影響を与えているのか、考えさせられました。

私の実家では常に喧嘩が絶えず、安心できる場所ではありませんでした。そのため、相手を安心させることで自らが安心する方法を身につけました。しかし、最近気づいたのは、相手を安心させることは相手にしかできないということです。他人の心の健康や安心を保証することは不可能だということです。

例えば、仕事で大成功したとしても、その後上司が自己都合で不機嫌になる可能性もあります。
また人に攻撃してくる人はその人自身が傷ついているからだとも前回の自己否定の探求から感じましたので、ミス=その人自身の問題と思ってしまう人はその人が既に傷ついているのであると考えます。

そうであれば、完璧主義を手放せば今を楽しく生きられるのではないかと考えました。しかし、これが容易なことではありません。
最近、息子たちの保育園の保護者会に参加できなかったことで落ち込みました。
家族が楽しんでいる中、自分は先生にメールを送ることに没頭しました。
この状況を振り返り、「まあもう終わったことだし、メールは後でもいいか」と思えなかった自分に気づきました。

ここで一呼吸置いて、本当に大切なことは何かを考える必要があります。完璧主義の欲に負けずに、子供たちとの時間を大切にしたいと思います。
海外育児ではほかに頼れる人はいないので、もちろん保育園行事など一人で管理しなくてはいけないことばかりです。
変わるのは難しいかもしれませんが、その状況において「まあいいか」と思える心が今の私には必要です。
そして完璧主義の欲が現れた時に、自分でそれに気づけるようになることが大切だと感じます。
そのほかにどうやって変わっていったのか、その時が来たらまた書きたいと思います。

完璧主義が生きづらさを感じるって感じる方いますか?