ACの私が気づいた、自己反省の罠:ミスを見つけすぎる癖を手放す方法

私はちょっとしたことでも、友人との会話の後などに、「自分の発言は適切だったかな?」と自己反省をすることがよくあります。なぜなのでしょうか?
それは、完璧主義である私が、もしミスをしてしまった場合、それを絶対に再発させないように、完璧に再発防止に取り組むからです。でも、私の場合は、自己反省会=自己否定にもつながっており、ミスをしたらずっと自分を否定していました。これでは前記の何かをする前も完璧主義の対策も加え、もしミスをしたらまた自己否定をして思考が止まる。。。これが私の生きづらさの2大問題です。
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自己反省会の自己否定をやめようと思っても、今を楽しもうとしてもやってしまったことの「後悔」が大きく絡んできたので、なかなか思考が止まりませんでした。
そこで、一度その「後悔」を認めてみることにしました。すると、なぜか私は「なんでこんなことを後悔しているんだ?」と思ったのです。

例えば、友人への発言に対しても、友人が実際に傷ついているかはわからないかもしれません。それは私の妄想かもしれません。
そこで私の自己反省会タイムは終わりました。
つまり、私は自分のミスを勝手に作り上げる癖がついているのです。
他人が実際に私に怒ったわけでもないのに、私は自己反省会を行ってしまうのです。
でも、この癖を手放すために、一旦その後悔を認めてみることが大切だと気づきました。そうすることで、自分の思考を客観視し、ミスではないと気づけるのです。
これで友人と話した後も、反省しそうになったら客観視しようと決めています。

まだまだ難しいですが、未来に自分を否定させるかもしれないと考えて生きるのはその思考だけで自分がいっぱいいっぱいになってしまいます。
もちろん、自分が実際に失敗してしまった過ちはしっかり認めるようにします。ここもまだ難しい。まずは言い訳して受け入れる法。
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完璧主義対策は自分の安全のためだけに行う。
自己反省会しそうになったらその反省を認めてみて、客観視する
この二つにフォーカスして、自分の心の安心安全のために私は自己探求を極めます。

そして自分を必要以上に追い詰める人はその人自体がもう傷ついている。このことも忘れないように。。

挑戦と発見、自己否定から自信を引き出す

私は以前、学習性無力感から何にも興味を持てなくなり、好きなことにも手をつけられなくなってしまいました。
しかし、この人生は有限であり、今を楽しむためには何かを変えなければと感じました。そこで去年から様々なことに挑戦し始めてます。

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息子たちへの誕生日ケーキ作りや家に小さなフォトスタジオを作って撮影会、ピアノを始めたり、ヘアゴムを作ったり、自分でプリンを焼いてみたり、Youtubeでダンスしたり…。色々なことに挑戦してみるうちに、好きなことで学ぶことが「これからの自分の形」を作っていくのではないかと気づきました。

わたしがこのように自分を探求しているのは「自分」を知りたいからです。今までの自分は何が好きで何が嫌いなのかを知りたいからです。
そのためにも学習性無力感を解放させ、今いろんなことに挑戦していますが、この自分は今までの自分を知るとともに「これからの自分」を作っていくのだと思いました。

例えば、ピアノを始めていますがその結果、音楽への愛や、特にグランドピアノの音に対する好みを再確認し、弾き語りもしてみたいとこれからの自分につながっていく欲求も見つかったのです。

自分の興味に向かって進むことで、新しいことを学び、自分自身を発見することができます。
その過程で自分を作っていき、自分を知れるのだと思います。

今後の挑戦として、ホームページ作りや家族ショートムービー作り、ランニング、テーブルインテリアのセンス磨き、旅行のしおり作りなどを考えています。以前の私は、ACからくる自信のなさ、自尊心のなさから「できない」「センスがない」と自己否定していましたが、今は「まずはお試しでやってみよう」という前向きな考え方ができるようになりました。これは自己否定について考えたからこそ思えるようになれたのです。できないわけではなく、できない状況下にあっただけ。まずは自分が自分を信じてみることにしました。これが私の変化の一番の証です。

自分が変われば人も変わるとは本当にそうで、息子も今ダンス一緒にやってくれて、新しいコミュニケーション方法を得たような気がします。
子育ては明日何が起こるかわからない、そんな時期ですが、うまくタイムマネジメントをして、今日の自分が何をして幸せなのか考えてみようと思います。
それが私の今の楽しみ方です。

完璧主義との戦い:今を楽しめない私の内なる葛藤

今回の探求は私が「今を楽しむことができない」理由を考えてみました。

私は常に次の予定や計画を考えてしまいます。特に翌日に朝から予定があるとわかると、前日やそれ以前からそのことを考えてしまいます。ミスを避けるために事前に準備をし、家を出る段取りを何度も確認します。いつも心配しているので、今を楽しむことができません。

私の中で完璧主義が強く、ミスを犯さないようにと常に準備を重ねることが習慣化しています。適度な確認は重要ですが、私は時に行き過ぎてしまっているようです。この状態が私の生きづらさに影響を与えているのか、考えさせられました。

私の実家では常に喧嘩が絶えず、安心できる場所ではありませんでした。そのため、相手を安心させることで自らが安心する方法を身につけました。しかし、最近気づいたのは、相手を安心させることは相手にしかできないということです。他人の心の健康や安心を保証することは不可能だということです。

例えば、仕事で大成功したとしても、その後上司が自己都合で不機嫌になる可能性もあります。
また人に攻撃してくる人はその人自身が傷ついているからだとも前回の自己否定の探求から感じましたので、ミス=その人自身の問題と思ってしまう人はその人が既に傷ついているのであると考えます。

そうであれば、完璧主義を手放せば今を楽しく生きられるのではないかと考えました。しかし、これが容易なことではありません。
最近、息子たちの保育園の保護者会に参加できなかったことで落ち込みました。
家族が楽しんでいる中、自分は先生にメールを送ることに没頭しました。
この状況を振り返り、「まあもう終わったことだし、メールは後でもいいか」と思えなかった自分に気づきました。

ここで一呼吸置いて、本当に大切なことは何かを考える必要があります。完璧主義の欲に負けずに、子供たちとの時間を大切にしたいと思います。
海外育児ではほかに頼れる人はいないので、もちろん保育園行事など一人で管理しなくてはいけないことばかりです。
変わるのは難しいかもしれませんが、その状況において「まあいいか」と思える心が今の私には必要です。
そして完璧主義の欲が現れた時に、自分でそれに気づけるようになることが大切だと感じます。
そのほかにどうやって変わっていったのか、その時が来たらまた書きたいと思います。

完璧主義が生きづらさを感じるって感じる方いますか?

自己否定からの解放: 失敗と向き合い、自分を受け入れる旅

今日は私の「強い自己否定」について。

失敗を伝えることに対する恐れや、怒られることへの恐怖、そして「言い訳をしない」という教育の影響は、私の人生に大きな影響を与えました。
子供の頃から、「言い訳するな」と教えられ、失敗を伝えることが許されないと感じていました。
また親から言われた「人に迷惑をかけてはいけない」という教えからかも「失敗=迷惑」と考えた私はミスを隠すようになりました。

しかし失敗を隠そうとすればするほど、結果的には罪悪感やトラウマを引き起こすことがあります。その影響で常に過去の失敗を引きずり、ため息が多くなる日々を送っていました。この状態になると、まるで寝たきりになったかのように、行動することも難しくなることもありました。
これが学習性無力感に一因だったのかもしれません。
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そしてこの「自己否定」と言う言葉に出会いました。
自己否定とは、「自分はダメだ」「自分のこんなところが嫌いだ」などと自分を責めるような思考で自分のあり方を否定的に評価する状態らしいです。
自己否定の症状は私にとても当てはまりました。特に嫌われたくないという気持ちは「迷惑をかけてはいけない=嫌われてはいけない」と思っていたのです。しかし私の人生をずっと歩んでいくのは私自分一人です。夫も夫婦という立場で一緒にいますが、一生一緒ではありません。だから私は自分を理解して自分と仲良くなることが最優先だと思いました。

自己否定から脱却するために、私は「自分=ミスではない」と唱えてます。
海外での現職場では、いろんな国のお人が働いてますが、失敗をしていても、それによって彼ら自身が否定されているわけではなく、その失敗を見つめているを学びました。私も少しずつですが自分のミスを認め、その物事と自分を離すことで、自己否定から解放されていく感覚を落とし込んでいます。
私がどうやってミスを認めているかというと、「言い訳」です。
言い訳と言っても酷い言い訳ではなく、ただミスをした原因を話すことです。原因がわからなければ次の成功も生まれない。そのミスの原因を人に話すことで私はミスを隠さず認めることが出来つつあります。これは海外での生活では、当たり前かもしれません。言い訳をせずに否を認めてしまったら負けみたいな。。。日本は上司にすみませんしか言えない文化です。


この経験から、私は息子たちにも自己否定を抱えないように願っています。
自分の失敗や意見を隠すことなく、堂々と自分を表現し、挑戦することの大切さを伝えたいと思っています。

学習性無力感からの脱却: 自分探しの旅

学習性無力感とは、自己効力感が低下し、何をしても変わらないと感じる心理状態のことです。
私もそれを経験しました。なぜなら、私は常に仕事やキャリアに焦点を合わせていたため、プライベートで自己実現や興味を見つける余裕がありませんでした。

私は日本で英会話スクールで働いておりました。
ACからくる保護者や生徒さんに早く私を認めてもらいたいという承認欲求。HSPくんからくる過度な配慮や断れない気質。
仕事に対して自分の目標やゴールが不明確でありながらも懸命に他人軸を満たそうとしていました。
そして学習性無力感を促進しました。必要以上に抱え込み、貢献することを強く求める中で、他のことへの関心が薄れていきました。
好きだった漫画の新刊を買うのも興味がなくなり、買い物も仕事で使えるよな服や靴を買うような生活でした。
そして仕事を辞めた後は無趣味な私が存在していました。

しかし、仕事を辞めて育児に集中したことにより、自分の価値観や願いを再確認する機会を得ることができました。
私は息子たちには「好きなことを見つけ、それを追求してほしい」と思うようになりました。それが自分を豊かにしてくれるからです。
前記に書いた心の余裕ですね。心の余裕を持ちたいのに学習無力感だった私。そりゃ、余裕がもてるはずないんです。
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しかし、その「好きなことを見つけ、それを追求してほしい」という価値観を持っているその実際は自分は無趣味であり、、、子供に教える立場の私がこのままでいいのかと思いました。
自分がやりたいことを見つけ、学んでいくためにも、まずは私自身がやりたいことに挑戦する実践者になる必要があると思いました。

この気づきから、自分が何に興味を持ち、何をしたいのかを探求する旅に出ました。
とにかく少しでも自分が過去にやってみたいなと思ったことに対してトライしています。ピアノ、ダンス、ランニング、誕生日ケーキ作り、、
「え、私には無理だし...」と今までは思ってましたが、自分が変わるため、息子たちに私の背中をみせるため、現在いろんなこと挑戦中です。

現在は、海外生活で見つからないかわいい雰囲気のヘアゴムを作ることにチャレンジしています。
工作なんて中学生以来です。そして苦手部門でした。(それもおいおい書きます)

海外ではなかなかない花柄のヘアゴ

息子たちにもトライして人生の中に「心が満たされる何かをみつける時間」を作ってほしいです。

HSEの一人時間の重要性と私の育児挑戦

「心の余裕を作りましょう」

育児しているとよくこの言葉をみる。尚更私の中のACが完璧主義を発動させ、子供たちにきつく当たりがちになる。
が、海外在住関係なく、周りに頼れる人がいない育児は孤独で辛い。楽しみが見えない。

だから私は心の余裕を休息で補おうとしました。少しでも30分でも、休み時間があれば休む!
息子たちにイライラしないように休息を大事にし、育児に合間に少しでも休息があれば必ず寝ていました。
しかしそれでも優しくできない日々が続くこともありました。

なぜ優しくできないのか、、、疲れたら休め。無理するなととよくネットでみるのに、、、
振り返ると私は鬱状態になっていたような気がします。ヨーロッパ特有の冬季うつです。コロナと海外生活、育児が重なり、何に対しても活力がなくなっていた。

そんな中、私を救ってくれたのがオンライン上での座談会。他の海外在住者との交流を通じて、心の支えや活力を得ることができました。
その後の育児がとても楽しくできたのを覚えています。(全然息子たちの写真も撮る気にならなかったのに、スマホで撮りまくってました笑)
この時、私はこの人時間が心の余裕を生み出すことに気づきました。

しかし、なぜ私にとって一人の時間がこれほど必要なのか?を探求する中で、私がHSEであることに気づきました。
この気づきは、私の中で一人の時間の重要性に気づかせてくれ、夫への理解を促しました。

HSEであり、AC(完璧主義的傾向)を持つ私にとって、子育ては決して容易なものではありません。
特に、海外での生活や年子育児は、さらなる挑戦となります。育児も親子間の人間関係を築くプロセスでもあります。
夫婦関係と同様に、親子の関係を築くことは簡単ではありませんが、心の余裕がないと、これらの関係に対処することも難しくなるのです。

この一人時間がもらえるようにまず夫に頼れる自分になること、そしてその一人時間で、心を整えることで、その後の親子関係にもポジティブな影響を与えると感じます。

最近はネイルを自分でやっているのですが、「ママの爪かわいい」と言ってくれる息子たちに感謝です。(夫は気が付きもしませんが)
最後まで読んでくださりありがとうございました。

安心感のある家庭を築く旅: 新たな気づき

私は、なりたい自分を考えた時に、安心感できる母になることが最初の目標でした。
そのために、息子たちに対して言葉遣いを理解し、アンガーマネジメントを学び、行動分析学を学んだりと、トライアンドエラーの育児をしてきました。
しかし、安心感のある母になろうとしても、夫が仕事でイライラしていたり、夫婦で喧嘩をしていたら、結局夫のイライラに巻き込まれ、怒りを発する母になってしまっていることに気づきました。
また安心感のある母になりたいと頑張っても、それは息子たちが決めることなのですよね。私がどれほどの努力をしても息子たちが無自覚ならば、安心感のある母にはなれません。かといって私は息子たちに「安心感のある母だと思いなさい!!」と価値観を押し付ける親にはなりたくありません。

そこで、次に私は二人で安心感のある家庭を作りたいと思いました。
しかし、安心感のある家庭を築くにはどうしたらいいのか、その手掛かりを見つけることが難しい現状に直面しました。
なぜかというと、私自身、心の中では、今の家庭は安心感がないと感じており、いつも息子たちの育児に余裕がなかったり、夫に仕事もして家事も負担してもらって、どこか申し訳なさを感じたり、、夫の方が掃除も料理も得意なことに罪悪感感じたり、、(苦笑)
いつも私の心は安心とはほぼ遠いところにいたのです。
幼少期から安心安全な場所がない家庭で育ち、家を出ても存在価値を見出すために、家でも仕事に労力をフルで使っていましたので、結婚してから始まったことではない。

つまり私は、「安心」という言葉の意味がわかっていないのです。
安心感のある母、家庭の前に自分自身に「安心」という感覚が自分の中になくなっていたことに気がつきました。

ならばまずは自分の内面に安心安全な場所を作ること、ここから始めることが私のスタートのようです。
そこから他人に安心感を感じられるようになり、家族と共に安心感のある家庭を築くために何ができるのかを考えることができるようになるでしょう。たぶん、、

内なる安心地を探す→自分自身が安心感を持つ→家族と共にその安心感を分かち合う→穏やかで幸せな家庭を作るプロセスだと感じました。
まずは最初行程「内なる安心地を探す」
これが私のさらなる自己探究になると信じて。。

追記
しかし...「安心感を分かち合う」とはどういうことでしょうか?まだしっかりわかってませんが、これはまだ先のことです。
そこまでいくまでどれだけの時間がかかるのかしら。笑
息子たちが思春期に入る前でお願いしたいものです。