母分析:過去から現在への探求

今回は、私の母親について深く掘り下げてみたいと思います。彼女の行動や考え方をより理解し、彼女との関係を深めるために、母の背景や経験を分析してみることにしました。

彼女は四人兄弟の末っ子で、実家はお菓子屋さんでした。母自身、親と遊んだ経験がなかったようです。また、母の実家では家族がいつも一緒に食事をし、寂しさを感じることはありませんでした。彼女が育った環境からすると、家族の重要性や絆についての理解が不足していた可能性があります。また、母は四人兄弟の末っ子で兄弟との喧嘩が日常茶飯事だったため、喧嘩コミュニケーションが普通のように感じられたのかもしれません。
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兄と母の関係が悪化してからも、私は母は同情し、彼女の苦しみを理解しようと努めました。父が亡くなってツライはずなのに、毎日兄と喧嘩とは...心がいつか折れてしまうのではと心配でした。当時母は常に仕事で忙しく、休暇を取ることもありませんでした。しかし、なぜ彼女がそこまで働き、家にいなかったのかは、私たちの家庭には明確な理由がありませんでした。でも私が母親になって感じたのは、子育てにおいて、自分の心の余裕は非常に重要ということ。母は仕事で自分の心の余裕を得ていたのだと思います。しかしその一方で私との時間がなくなっていました。結果として私の愛情不足へつながっていったのは否めません。

私は常に母に尽くしてきました。家庭での日常的なことから、社会人になってからは母を旅行に連れていき、楽しませようと必死でした。
その必死さの原因は、父の死により「親はいつまでもいるわけではない」という現実を幼い頃に気づいたことにあります。
この出来事が、共依存の罠にハマり、やりすぎてしまった一因と考えられます。
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しかし、この気づきは私の子育てで大きなプラスへ変わるような気がしています。

私が実際に母親との時間がなかったことが、私の現在の生活に大きな影響を与えていることは、これまでのブログからも明らかです。そのため、私は自分の息子たちとしっかりと時間を過ごすことの重要性に気づきました。彼らとの楽しい時間を作ることが私にとって大切なことだと感じています。彼らも保育園で社会生活を送っていますが、せめて休日は家族でお出かけしたり、一緒に食事をする時間を作りたいと思っています。

このような家族の時間を大切にすることは、普通の家族では当たり前なのでしょうか?実は、夫の実家に初めてお邪魔した時に、そこはとても暖かい雰囲気で笑顔が絶えない食卓でした。私はその光景に驚きましたが、これが普通の家族の姿なのだろうかと考えさせられました。

でも!息子たちが楽しむ前にまずは自分が1番に楽しむ気持ちを忘れないようにしたい。それが私の人生を楽しむ上で1番大切なことだから...
今日も最後まで読んでくださりありがとう ございました。

共依存の罠:自己探究の旅

こんにちは!今日はちょっと前置きから始めましょう(笑)。

ブログを書いていたら、「今週のお題、花より『あんこ』」というテーマが出てきました。文字を見ただけで、あんこが食べたくなりました。海外で和食の言葉を見ると、ついつい懐かしくなりますね(笑)。日本食を簡単に手に入れることができないので、日本に一時帰国した時は和菓子や和食を求めて食べ歩きに忙しくなります(笑)。でも、あんこたっぷりの苺大福が食べたいと思っても、実は今歯の矯正中で、柔らかいものが食べられないんです。(海外での矯正についてもまたおいおい話しますね…)

あー、桜を見ながら大福を食べたい…と、あれ、またできないことに目を向けてしまいました。自分を変えるって難しい〜。


こんにちは!今日はちょっと前置きから始めましょう(笑)。

ブログを書いていたら、「今週のお題、花より『あんこ』」というテーマが出てきました。文字を見ただけで、あんこが食べたくなりました。海外で和食の言葉を見ると、ついつい懐かしくなりますね(笑)。日本食を簡単に手に入れることができないので、日本に一時帰国した時は和菓子や和食を求めて食べ歩きに忙しくなります(笑)。でも、あんこたっぷりの苺大福が食べたいと思っても、実は今歯の矯正中で、柔らかいものが食べられないんです。(海外での矯正についてもまたおいおい話しますね…)

あー、桜を見ながら大福を食べたい…と、あれ、またできないことに目を向けてしまいました。自分を変えるって難しい〜。

さて、今日はブログで「共依存」について書こうと思います。
共依存(Co-Dependency)とは、自分の価値を周囲の基準だけで判断し、他者の期待に応えることに必死になる状態のことを指します。私自身、この問題と向き合っている中で、共依存という言葉に出会いました。

自分の価値を、周囲の基準だけを頼りに判断する。自分がどうしたいのかではなく、周囲の期待に応えることだけに必死。
これはまさに私の姿そのものでした。

私は人の役に立つことが生きがいだと思っていました。
小さい頃から「人の役に立つ仕事をしなさい」「人に迷惑をかけてはいけない」「相手のことを考えて行動する」と教わってきました。しかし、その過程で自分自身を見失い、共依存の罠に陥っていたことに気づきました。

共依存に陥ると、他者の問題に頭がいっぱいになり、自分自身や周りの世界に関心を持つことが難しくなります。
私も同様で、仕事や育児に全力を注ぎながらも、相手からの期待に応えることで得られる愛着や承認が、自分の価値を決定づけているように感じていました。自分がどうしたいのか、自分の欲求や感情は何なのか、それを見つめることができなくなっていたのです。自分の幸福や興味を見失い、自分がどれだけ他者に依存していたかを理解することができました。

自分の中の共依存と向き合うことは、私にとって簡単なことではありませんでした。
これまでの自分は、他人のために尽くすことが価値のある善人であると信じてきました。その信念を否定することは、自分自身を否定することにもつながるように感じました。しかし、同時に私は共依存という問題を認めることが、自分自身をより深く理解するための第一歩だと思い、そのためには、まずは自分の中の共依存という問題を認めることから始めました。

そして認めて、向き合う準備ができたら、まずは、自分が安心できる場所や環境を見つけることを始めました。
私は、今直感で自分に合わない人間関係や環境から距離を置くことで、自己保護を図っています。
今のところ苦手な人というのは権威者(職場ではリーダーとか上司)と愚痴ばかり言ってくる人です。

なぜこのカテゴリーの人が苦手な人かというのは私のHSE/ACが原因かなと思ってます。
私の中のHSEちゃんの特性から私は刺激的な環境を好みます。それで愚痴というちょっとしたスキャンダルに首を突っ込みたくなり、私の中のACさんによりそれをいい方向にもっていためにどうにか役に立とう必死になり自分の存在価値を見出そうとます。
権威者は...ね。絶対ACかな。怒られないか常に不安で自分の意見を言えないところで育ってるわけだから権威者とつき合ったら逆らってはいけないと自然に思ってしまう自分がいますね。人は人なのにね。
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現在、私は自分の時間を大切にすることで、自己探求の旅を深めています。
ブログを書くことや新しいことに挑戦することで、自分の興味や可能性を広げることができます。
今は息子の誕生日ケーキのデザインを模索中。自分の創造性を活かしたものはまだまだ難しいけど、自分が作ってみたいものを見つけることに努めています。

共依存からの脱却という道のりは容易ではありませんがこれからも自己探求の旅を続けていきます。
今日は長くなってしまったのに、最後まで読んでくださりありがとうございました。

他者への尽くしと自己の見失い:新たな自己発見の旅

私が職場で生きづらさを感じたのは、二つのきっかけがあります。一つは、一生懸命働いた前職場で意外にあっさりと切られたこと。もう一つは、職場の上司との関係を改善しようとしたことです。

私は一生懸命に職場で働き、人々の相談に乗り、解決に向けて努力してきました。
しかし、ある時、その一瞬の離脱で気づかされたことがあります。
私の代わりは簡単に見つかり、世の中は私の存在なしでも回っていることに驚きました。
私が費やした時間と労力は相当なものでした。
私が気づいたのは、私はいつからこんなに他者に尽くすようになったのかということでした。家族、友人、同僚、顧客、後輩、夫、息子。彼らのために尽くすことが私の生きる意味であったように感じました。
これもまた以前書いた自分の家族が要員の一つ。
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自分の時間などいらない。人に尽くしていかないと私の存在価値はないと思っていたのです。

しかし、その中で自己を置き忘れ、自分の欲求や興味を後回しにしてしまいました。やがて、自分が忘れていたことに気づいた時、私は何も興味を持たなくなってしまいました。

しかし、そこで立ち止まり、考えることが重要だと気づきました。他者に尽くすことも大切ですが、自分自身を見失ってはいけないのです。今回の経験から、私は自分自身との向き合い方を学び、自分の欲求や興味を再発見する旅に出ることを決意しました

また未経験で入った職場では、私は経験も知識もない使えない人間だと感じていました。(このような自己評価も問題ですね)
あるチームの一員となり、そのチームでトレーニングを受けることになったのですが、技術の向上だけでなく、チームリーダーとの関係改善も目指しました。しかし、自己疑問と不安が常に付きまとい、「私はうまくやれているだろうか」「嫌われていないだろうか」という不安に苛まれていました。

そんな中、夫が一言。「なんでそんなに疲れてるの?」夫は私のため息に気づきました。
私にとってはため息が普通の生活の一部でしたが、夫にとっては仕事が終わった後にも仕事のことを考えてため息をつく私には信じられなかったのでしょう。

夫の言葉は私には衝撃で、みんなそうではないのか。私が少し変わっているのか。と自分を見直すきっかけとなりました。
自分を大切にする彼の姿勢が私にとってはとても新鮮です。

これからは、他者への尽くしと自分自身のバランスを大切にしながら彼のように、仕事以外のことにも心を開放していきたい。
自分にも集中していきたいと感じています。

ということで、まずは何事にも興味をもつ。できないとは思わず、やってみたいと思ったらやってみる。そこから始めています。
今はランニングとケーキ作り調査に集中です!笑

子育てが導いてくれた自己探求の旅

私の自己探求の旅は、仕事と子育てという2つの出来事から始まりました。
今日はその中でも、子育てが私にもたらした気づきについてお話ししたいと思います。

現在私は、日本人の夫と2人の息子と共に海外で生活しています。長男は日本で生まれ、次男はコロナ禍の影響で海外での出産となりました。この海外生活の中で、私は日々の育児に奮闘していました。身近なサポートがない中、育児に追われる日々で心身ともに疲れ果てていました。

その疲労が溜まると、息子たちに対して怒りをぶつけたり、言葉の暴力を振るってしまうことがありました。そのような自分自身に戸惑いと苦しみを感じながらも、その原因を探ることができませんでした。

辛くなって夫に相談してみたら、夫から「楽しくないんじゃない?」と言われました。
その時の私にとっては育児を含め海外生活は楽しいものではありませんでした。親しい友人がいるわけでもない。夜ご飯を一人で食べにはいけない。できないことばかり。。
そう。私はできないことばかりに目を向けていたのです。だから自分で自分を楽しませてあげることもできない、心の余裕の作り方がわからない状態でした。

夫が「いつも(特に仕事で)ワクワクすることを考えてるよ」と言ったとき、私は衝撃を受けました。私の中でワクワクという感情は父が亡くなったときに終わってしまったと思っていました。しかし、夫の言葉で、私が自分自身を生きにくくしている思考があることに気づきました。
そう、自分が自らの思考によって自己を制限していたのです。

またもうひとつ。
私にとって男の子との育児は特に苦手でした。前回話したように兄との関係が原因で、男の子=母親と喧嘩をする存在というイメージが私の中に根付いていました。
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もうこれは自己探求をして、自分の思考と向き合い、自分がまず変わらなければ息子たちも変わらない!私は自分の母と兄のような関係を自分の息子と作りたくない。私は自分にはなかった安心感のある家庭を作るんだ!そう決めて今自分と向き合っています。

そうして子育ての中で得た気づきが、私の自己探求の旅を始めるきっかけとなりました。今はまず、自分も楽しく、子供も楽しめることを日常に取り入れコミュニケーションをとってます。今はダンスです。Youtubeでダンス初心者と検索して、息子たちとテレビの前で踊ってます。笑
また多干渉にならないように見守る。そして自尊心を傷つけないような声がけ。(すべてYoutubeから勉強中。ここで得た気づきはまたおいおい...)

昔は男の子育児に不安がありまくりでしたが、息子たちのおかげで今はこの気づきが得られました。感謝感謝です。
これからも自分を知る旅は続きます。

自分らしく生きるための挑戦: 兄との関係からのみえたこと

兄との関係を振り返ってみて、私はあることに気づきました。自分が家でビクビクしているのに、実際には兄や母から怒られた経験はそれほど多くないということです。母と兄の喧嘩に口を出せば「黙っていろ!」と言われたことはありますが、私が原因で怒られたことはないのです。それなのに、なぜか常に緊張していたんですね。

いつも兄と母の喧嘩が始まらないように、私は空気を読んで行動してきましたが、これはもうやめたいと強く感じます。去年の夏休み、一時帰国で実家に戻ったときも、同じように緊張していた自分に気づきました。せっかくの帰国でしたが、高いお金を払って13時間もの長い飛行機の旅をしても、リラックスできず、楽しい時間を過ごせなかったんです。

だから、私は家で空気を読む自分や余計に気を使う自分を手放したいと思います。自分の感情や欲求を大切にし、自分らしく生きていきたいのです。この気づきは、自己探求の旅の中で得た貴重なものであり、これからの人生に大きな影響を与えるでしょう。

兄とどんな関係になりたいのか、私は今後どう兄の前に立てばいいのか。これを考えたとき、「意見を言える自分になりたい」という思いが湧いてきました。兄の前では意見を言えず、言えば怒られるという状況にありました。母に対しても同様でした。しかし、それではいけないと感じました。モヤモヤしてビクビクするより、私としての意見を自分の言葉で伝えていきたいのです。

兄とわかり合いたいわけではありません。ただ、何も言わずに私の存在が「無」であるかのように、そこにいたくありません。私も自分の人生で声を出したいと強く感じています。これが今回の自己探求の結果です。

声を出すために、まずどんなことをやっていったらいいのか。。それは今試行錯誤中です。海外生活では、なおさら大事なことだと考えています。意見を言えなければ、いざと言う時に自分も息子たちも守れない親になりますね。
今回の自己探究は私の成長と自己実現のために必要な一歩だと感じています。

兄との関係について今回メインでしたが、母との関係でわかった自分もまたそのうち書こうと思います。

家族の影: トラウマとの闘い

今回は私の家族が私に与えた影響について語りたいと思います。

父が亡くなったとき、私は小学校高学年でした。その時、兄は高校生で、思春期の多感な時期に父を失ったことで、母に対して怒りをぶつけるようになりました。その喧嘩は、絶え間なくほぼ10年にわたって続いていました。毎日、兄と母の怒鳴り合いの喧嘩を聞くことが日常となりました。

喧嘩の声は大きすぎて、近所の人からは引かれたり、私に「大丈夫?」と声をかける人も。でも大丈夫って言うしかないし、何より恥ずかしかった。
その結果、私は大きな音や怒鳴り声がトラウマとなり、周囲にビクビクするようになりました。喧嘩をしてほしくないので、母と兄の会話を折ることに必死でした。

この経験が私に与えた影響は大きく、自尊心の低さや他人への依存、早すぎる自立や完璧主義、リラックスできないこと、自分の意見を言えないことなど、様々な形で現れています。この家族の影響から、私はアダルトチルドレンとしての自分を認識するようになりました。

現在、母とは普通に電話する仲ですが、完全に気を許せる関係ではありません。兄とは連絡を取ることはありません。私は彼らをまだ許すことができません。彼らが直接私に何かしたわけではありませんが、彼らの喧嘩が私の存在を無視し、非暴力で存在していないように見られていることが辛かったのです。

この家族のことを思い出すのは辛いことですが、少しずつその経験を紐解くことで、自分自身を癒していく方法を模索中。
まだまだ道のりは長し。でも私は私を知りたい。

予想外の自己探究: 私がアダルトチルドレンだと知った日

おはようございます!ドイツは今日も曇りです。(私の地域はほぼ曇り)

今回は、私の中にアダルトチルドレン(以下、ACさん)がいることについて知った日について書きたいと思います。

私の家族は四人家族で、父、母、兄、そして私がいます。父とは私が幼い頃に死別し、母子家庭で育ちました。

しかし、私は日々感じる生きづらさ、周りの目線、そして怒られることへの恐怖に悩まされていました。(実際は怒られていなかったのだけど...これもまたおいおい書きます。)意見を言えない自分や過剰な責任感、人間関係の不安定さ、自己肯定感の低さにも苦しんでいました。これらの感情や特性は、HSP(高感受性)である可能性があると思っていました。

しかし、自己分析を手伝ってくれている人に相談したところ、「それはアダルトチルドレンの可能性があるかもしれない」と言われました。

最初は驚きと混乱でした。私は虐待されたわけでも、アルコール依存症の親の元で育ったわけでもありません。幸いなことに、毎日の食事も学校への通学も確保されており、その点では幸せな家庭環境でした。親との関係も良好だと思っていました。

それでも、言われたことはやはり気になり、その日から私の自己探究が始まりました。

インターネットで調べていくとアダルトチルドレンの症状は私に似ているものばかり、、、というか私そのもの!なぜ?どこからそうなったのか。。

その原因を知るために、私はさまざまな情報源やネットのアドバイスを頼りに学び始めました。そして、過去の経験や現在の感情を振り返りながら、自分自身の内面と向き合う決意をしました。

私には、家族との関係に関する様々な思い出があります。しかし、その中には恐怖や落胆といった感情を引き起こす出来事が多く含まれています。

特に、ある家族の一員に関する思い出は、私の中で恐怖と落胆の塊となっています。その人物の存在を思い出すだけで、私は不安や痛みを感じてました。まさかその人がアダルトチルドレンの要員の一人だったなんて、思っても見なかった。。。

 

その理由は次回へ。